芸能界と格闘技界 その深淵
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五木ひろしの光と影<10>平尾昌晃は思いつめた顔の三谷謙に声をかけた
作曲家、平尾昌晃は1970年の晩秋に起きた出来事を比較的、鮮明に記憶していた。 「出場者の音合わせが終わった。それでも、まだ本番まで時間が余っている。『純ちゃん(長沢純)、どこ行ったかなあ』っ…
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五木ひろしの光と影<9>平尾昌晃は三谷謙が一節歌ったのを聞いて「ぶっ飛んじゃった」
1970年11月のある日のことである。この日「全日本歌謡選手権」審査員の平尾昌晃はマネジャーの手違いで2時間も早く収録会場である藤井寺市民会館に到着した。当然、楽屋には誰もいない。今のようにスマート…
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五木ひろしの光と影<8>23歳の「三谷謙」は「全日本歌謡選手権」出場を決意する
「くだらないって思ってたんだよ。なんでもかんでも厳しくしすぎるなんて意味ないじゃん。本当によくないところを直してやろうっていう厳しさじゃないんだ。先生方も番組のカラーに少し合わせ過ぎてたかな。厳しく言…
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五木ひろしの光と影<7>全日本歌謡選手権はうるさ型の審査員が切って捨てるのが売りだった
視聴者参加番組の歴史は古い。現在も続く「NHKのど自慢」が始まったのは戦後すぐの1946年(当時の番組タイトルは「素人のど自慢」)。9歳児だった美空ひばりが「子供らしくない」という理由で鐘が1つしか…
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五木ひろしの光と影<6>野口修は沢村忠と五木ひろし…ジャンル違いのスターを生み出した
筆者が平尾昌晃と初めて出会ったのは、2010年秋、芸能リポーター・梨元勝の「お別れの会」である。筆者はテレビ番組やインターネット配信を通じて何度か梨元と仕事をする機会があった。野口修についてただした…
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五木ひろしの光と影<5>ギター片手に夜の街に出た「流し」の日々
現在「流し」という職業を耳にすることはめったにない。ギターを片手に、夜の酒場や歓楽街を回って、客のリクエストに応じて演奏をする。もちろん、歌うこともある。軽妙なトークで聴かせるのも売りの一つで「1曲…
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五木ひろしの光と影<4>都はるみの前座では「引っ込め!」とヤジられ…
1965年8月13日、日本コロムビアの専属作曲家である上原げんとが、軽井沢に向かう車の中で心臓発作を起こして急死する。50歳の若さだった。上原の門下生でデビュー2カ月の新人歌手、松山まさるの運命もこ…
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五木ひろしの光と影<3>松山まさるの将来性を“予言”…新人歌手の運命を変えた恩師の急逝
芸能誌「月刊平凡」(1965年8月号)では当時の人気テレビ番組の担当ディレクター4人による座談会「おしゃべり採点簿」が企画されている。テーマは「これから伸びる新人歌手」について。ちなみに4人のディレ…
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五木ひろしの光と影<2>「ミスター平凡」の称号を手に入れ“演歌歌手の決定版”として期待を集める
芸能誌「月刊平凡」(1964年8月号)に「第15回コロムビア全国歌謡コンクール 7月上旬から地区予選はじまる!」という告知記事が載っている。 《コロムビア専属歌手「歌うミス・ミスター平凡」を選…
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五木ひろしの光と影<1>NHK紅白に50回連続出場、“日大の竜”が述懐するデビュー当時
2021年10月17日、あるニュースが一斉に配信された。「五木ひろし紅白不出場を明言」という芸能トピックである。 《「昨年50回を迎え、大きな区切りをつけました。この喜びを胸に終了したいと思い…
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飯野矢住代誕生秘話<27>時代を駆け抜けた飯野矢住代「21年の短き生涯」
1971年12月28日。この日の飯野矢住代の行動を追う。午前9時、俳優Iが住む笹塚のマンションに現れ、スープと卵焼きを作る。午前9時半、ドラマのロケに出かけるIを送り出し一人になる。午前中、マンショ…
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飯野矢住代誕生秘話<26>「病院に運ばれましたが、先ほど亡くなったそうです」
ドラマのロケを終えて、撮影場所の聖蹟桜ケ丘から笹塚に向かって車を飛ばした俳優Iは、カーラジオから流れるニュースで、笹塚で火災があったことと身元のわからない女性が亡くなったことを知った。 「矢住…
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飯野矢住代誕生秘話<25>俳優Iの部屋に一人残された矢住代はその後、姿を確認されていない
1971年12月27日、月曜日。午後11時。飯野矢住代は恋人である俳優Iと一緒に楽しい時間をすごしていた。「週刊明星」(1972年1月23日号)が書くところによれば、2人は共通の友人の母親が経営する…
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飯野矢住代誕生秘話<24>俳優Iとの間に結婚話が一度も出なかった理由
俳優Iと付き合い始めた飯野矢住代は、週に1度は必ずIの自宅に泊まっていった。不思議なのは、結婚話が一度も出なかったことである。バンドマン時代のジョニー吉長にしろ、歌手Sにしろ、付き合ってすぐ結婚を意…
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飯野矢住代誕生秘話<23>山口洋子「せっかく美の神に祝福されながら根性は二流だ」
歌手Sと別れた飯野矢住代は、それ以前から「姫」を休みがちになっていたという。当時の芸能誌によると、「ホステスという仕事自体が嫌になった」とある。確かに自由奔放な矢住代にとって、客に媚を売るホステスと…
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飯野矢住代誕生秘話<22>周囲に歓迎されなかったスター歌手Sとの儚い恋
恋の遍歴を重ねてきた飯野矢住代にとって、「歌手S」は特別な存在だったかもしれない。これまでの本命は主に大学生やバンドマン。心理的に矢住代が優位に立ってきたはずだが、Sはれっきとした芸能人。アイドル的…
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飯野矢住代誕生秘話<21>「反省はするけど後悔はしない」というのが口癖
“独身生活”を謳歌していた飯野矢住代は、身軽さもあってか、気ままに新しい男と付き合った。「ミス・ユニバースをモノにした」と吹聴する者も中にはいたが、さして気にも留めなかった。この頃、矢住代にスタンダ…
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飯野矢住代誕生秘話<20>大門節江と飯野矢住代は生き方もキャラも好対照だった
ミス・ユニバース日本代表にして「姫」のナンバーワンホステス、飯野矢住代と若いバンドマンの別れ話は、すぐにその界隈に広まった。情報を嗅ぎつけた男が次々と矢住代の前に現れた。青年実業家、芸能人、芸術家、…
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飯野矢住代誕生秘話<19>「ミス・ユニバースという肩書きは総絞りの着物を着たようなもの」
女性誌「主婦と生活」(1970年11月号)は、「全告白・元ミス・ユニバース日本代表 飯野矢住代 流転の三年間」という特集記事を組んだ。「虚栄の座――そこに女の幸せはなかった…」といった副題も付いてい…
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飯野矢住代誕生秘話<18>世間に求められるがままの「虚像」を忠実に演じていたのか
バンドマンのジョニー(その後のジョニー吉長)との同棲生活を解消した68年度ミス・ユニバース日本代表の飯野矢住代は、原宿のマンションを引き払い、実家と言うべき母の住む渋谷・円山町のアパートに戻った。と…