飯野矢住代誕生秘話<19>「ミス・ユニバースという肩書きは総絞りの着物を着たようなもの」
女性誌「主婦と生活」(1970年11月号)は、「全告白・元ミス・ユニバース日本代表 飯野矢住代 流転の三年間」という特集記事を組んだ。「虚栄の座――そこに女の幸せはなかった…」といった副題も付いている。記事を読むと、3年間どころか、これまでの飯野矢住代の半生を振り返る回想録で、今風に言えば“飯野矢住代まとめ”ともいうべき内容となる。
取材場所に指定した恵比寿駅近くの会員制サパークラブに和服姿で現れた矢住代は、「だいぶお変わりになりましたね」という記者の問いに、「着ているもののせいじゃないかしら」と受け流しつつ、「もし、そうだとしたら、やはり子供を生んで死なせた経験が、私を大人にしたのかもしれません……(中略)ふつうなら五年十年で経験することを、いっぺんに経験してしまったんですもの、変わるのがあたりまえね」と言い切っている。
中学を卒業して、すぐモデルとして働きながら、飯倉の「キャンティ」に出入りし、人気のGSグループ、ザ・スパイダースに詞を提供して、熱狂的人気を博したザ・タイガースのメンバーと交際するというのだから、その時点で得難い経験をしている。さらに、そこからミス・ユニバース日本代表となり、一転して世間の大バッシングに晒され、銀座のホステスとなり、ジャニーズ事務所女性タレント第1号となるのだから、常人ではありえない前半生と言っていい。加えて、バンドマンとの同棲、妊娠、事務所を解雇、出産、早逝、破局……。「五年十年」どころか一生かかっても、ここまでの経験をする人はいないのではないか。そんな彼女に「ミス・ユニバースの肩書きを重荷に感じたことは?」と記者が問うと、あっけらかんと、こう答えている。