飯野矢住代誕生秘話<27>時代を駆け抜けた飯野矢住代「21年の短き生涯」
1971年12月28日。この日の飯野矢住代の行動を追う。午前9時、俳優Iが住む笹塚のマンションに現れ、スープと卵焼きを作る。午前9時半、ドラマのロケに出かけるIを送り出し一人になる。午前中、マンションの下の酒屋でサイダーを買う。以上が確認出来る情報で、以下は警察と消防署による推測となる。その後、浴槽に水を入れガスに火を付けている。風呂に入ろうと思ったのだろう。これが運命の分かれ目となった。排水栓が数ミリずれていたのだ。水は漏れ続け、当然空だきの状態となった。やがてガスが浴槽に引火し、合成樹脂を焦がすことで、室内に有害ガスと一酸化炭素が充満する。
これだけならば、異臭に気付いてガスを止めれば済む話である。しかし彼女は、昨晩からまったく眠っていなかった。深い眠りに落ちてしまっていた。午後2時ごろ、近所のそば屋の店員が、Iの部屋から黒煙が出ているのに気付き、管理事務所に急報。程なくしてIの部屋に消防署員が踏み込んだ。
火元の風呂場にはポリエチレンの浴槽がドロドロに溶け、通風筒はぐにゃりと曲がり、タンスの中にまでススが入り込んでいた。消防署員は寝室にエプロン姿の女性が倒れているのを発見した。矢住代である。発見されたとき、ストライプのシャツに矢がすりのミニスカートの上にエプロンをかけており、髪の毛、顔、鼻の穴までススで真っ黒。すぐさま幡ケ谷の黒須病院(現・クロス病院)に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。死因は一酸化炭素中毒、事故と判断された。ガソリンスタンドから所属事務所に電話をした際に、火災と恋人の死を知らされた俳優Iは、黒須病院に直行。矢住代と最後の対面をした。このとき彼の脳裏によぎったのは一体何だったのだろう。