「革命捕手」中尾孝義が見たプロ野球
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広島・新井貴浩の阪神FA移籍は最後まで読み切れなかった
2007年から2年間、阪神の編成業務を担当していた私は、日本ハムでくすぶっていた若手捕手の今成亮太に注目していた。09年にスカウト課への配置転換が決まったため、その前に編成部長にこう提案した。 …
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阪神でコーチから編成部に異動…FA補強、戦力分析、トレードなどを担当
2004年から3年間、阪神の二軍コーチを務めた私は、07年から「球団本部・編成部」へ異動となった。 西武時代、引退後に編成の仕事をしたことがあったため、戸惑うことはなかった。球団のフロント職…
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藤川球児は「巨人の星」のようなギプスを装着して投球練習をしていた
2004年から阪神の二軍でコーチを務めた3年間で印象的だったのは、「火の玉」と称された直球を最大の武器に、日米通算245セーブを挙げた藤川球児である。 私が就任した03年オフ、星野仙一監督に…
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虎の生え抜き大砲候補・桜井広大を育てられなかった阪神の構造的問題
私は2003年オフに阪神の二軍打撃コーチに就任。「虎の生え抜き大砲候補」として二軍で4番を打っていた桜井広大の育成を任された。インコースが苦手なことを意識するあまり、左肩が開いて目線が遠くなり、アウ…
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星野仙一さんが阪神を「特殊な球団」と言った意味 二軍選手までチヤホヤされる
オリックスのコーチを辞した2003年、阪神の岡田彰布監督から「二軍の打撃コーチをやってくれませんか?」と打診があった。縁もゆかりもない阪神に私のことを推薦してくれたのは、18年ぶりにリーグ優勝に導き…
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岡田彰布さんから阪神二軍コーチの打診 中日時代の恩人・星野仙一さんが推薦してくれた
1993年の日本シリーズで西武は3勝4敗でヤクルトに敗れ、4年連続の日本一を逃した。直後に私は球団幹部に呼ばれ、こう通告された。 「来年は契約しません。考えといてください」 戦力外通告…
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工藤公康から「妻が『中尾さんのスジネギ焼きが食べたい』って」と電話が
巨人に興味津々の西武の主砲・清原和博。「巨人のプレッシャーは凄まじい」とは教えたものの、ちょうどFA制度ができた頃で、いつかは巨人入りして夢をかなえてほしい。この若いホームランバッターが巨人の重圧の…
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西武に移籍すると清原和博に「巨人っていいんですか?」と質問攻めにされた
「デーブ」こと大久保博元との交換トレードで巨人から西武入りした私は、主砲の清原和博に「あの(三冠王3度の)落合(博満)さんに『体の軸で打っているのは中尾さんだけ』って言われたんですよね?」と聞かれ、そ…
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西武・森監督にいきなり「競馬が好きらしいが選手に悪い影響を与えるなよ」と釘を刺された
巨人移籍2年目の1990年の日本シリーズで、私は「ネズミ」といわれる右肘痛を発症。3戦目から欠場を余儀なくされた。結果は4連敗。失意のまま91年を迎えると、この頃から持病の腰痛が悪化し、二軍生活が長…
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巨人の関西の宿舎では食事の肉に“序列”が 原と篠塚には最高級が出続けた
私が巨人へトレード移籍した1989年ごろは、原辰徳と篠塚和典がチームの中心だった。篠塚は原の1歳上で、野球以外のことでも、この2人が中心になって動いていた。 私が競馬好きなのは巨人ナインにも…
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日本シリーズ直前合宿で膨大なデータを渡され…“ダメダメ”ミーティングで屈辱の4連敗
巨人は1990年シーズンで2位広島に22ゲームもの大差をつけて独走優勝を果たした。しかし、日本シリーズ前のミーティングで、投手陣がシーズン中の報奨金が「野手より少ない」と不満を訴えた。「瞬間湯沸かし…
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90年は巨人がぶっちぎりでセ連覇も 日本S直前に監督と投手陣で「報奨金騒動」が
藤田元司監督が率いた1990年の巨人は強かった。 2年連続20勝で最多勝と防御率の2冠に輝いたエース斎藤雅樹を筆頭に、桑田真澄、宮本和知が14勝ずつ、木田優夫が12勝、香田勲男が11勝で2ケ…
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藤田監督は日本Sで近鉄に3連敗後、読売会長に「明日は香田で大丈夫なのか」と問い詰められた
近鉄との1989年の日本シリーズ。巨人の3連敗で迎えた絶体絶命の第4戦だったが、香田勲男の持ち球である「スローカーブ」が、振り回してくる近鉄打線に効果があると感じていた。 私は試合前のミーテ…
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89年日本Sで近鉄に3連敗「ロッテより弱い」と聞き…藤田元司監督がナインに放ったひと言
11試合連続完投勝利の斎藤雅樹、打率.378で首位打者とMVPを受賞したクロマティが活躍した1989年。巨人は独走でリーグ優勝を決め、日本シリーズは近鉄との初顔合わせとなった。 12球団随一…
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「デートがあるから早く終わらせて」と頼むと桑田真澄は「任せてください」とニヤリ
私が巨人へトレード移籍した1989年、11試合連続完投勝利の不滅のプロ野球記録を樹立した斎藤雅樹と同様、自己最多の17勝(9敗)、防御率2.60の桑田真澄もすごい投手だった。 私がこれまで受…
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巨人・斎藤雅樹が成し遂げた不滅の「11試合連続完投勝利」これが舞台裏だ
巨人・斎藤雅樹の大記録の起点となった1989年5月10日の大洋(現DeNA)戦。中2日での登板だったが、七回まで1失点の好投を見せていた。しかし、4点リードで迎えた八回に無死満塁のピンチを招くと、藤…
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巨人では藤田元司監督に“ノミの心臓”斎藤雅樹を「強気のリードで何とかしてくれと」
元号が平成に変わった1989年に、私は巨人へトレード移籍となり、藤田元司監督に真っ先にこう言われた。 「捕手として評価している。中尾の強気のリードで斎藤雅樹を何とかしてくれないか?」 …
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巨人へ入団 現監督の原辰徳から「伊豆で一緒に練習しませんか?」と誘われた
「中尾さん、ボクたちは伊豆の修善寺でやるんですが、一緒に練習しませんか?」 中日の私と巨人の西本聖、加茂川重治との1対2のトレードが成立し、巨人入りが決まった1989年1月、4年連続30本塁打…
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星野監督から湯治先の温泉宿に「トレード決まったぞ」と電話がかかってきた
中日が6年ぶり4度目のリーグ優勝を果たした1988年オフ、長野の昼神温泉で湯治をしていた私に星野監督から電話がかかってきた。 「トレードが決まったぞ」 「どこですか?」 「巨人の西…
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「おまえはキャッチャーはクビや!」星野監督に外野コンバートを通告された
浜松でのヤクルト戦で、先発の鈴木孝政さんとバッテリーを組んでいた私は、直球が走っていたにもかかわらず、投手コーチに言われるがままに変化球を要求。荒井幸雄にチェンジアップを本塁打された。 指示…