西武・森監督にいきなり「競馬が好きらしいが選手に悪い影響を与えるなよ」と釘を刺された
巨人移籍2年目の1990年の日本シリーズで、私は「ネズミ」といわれる右肘痛を発症。3戦目から欠場を余儀なくされた。結果は4連敗。失意のまま91年を迎えると、この頃から持病の腰痛が悪化し、二軍生活が長くなっていく。チームも3、4位をウロウロしながら苦しんでいた。すると、藤田元司監督から電話がかかってきた。
「まだ治らんのか? もう大丈夫か? そろそろ戻って来てくれよ」
中日では星野仙一監督によって一時は外野に転向となり、巨人では藤田監督が捕手に戻してくれた。恩人にそんなことを言わせてしまう自分が情けなかった。とはいえ、一軍に戻っても、疲れてくるとギックリ腰のような状態になり、ひどい時は自分で尻が拭けないほどだった。結局、この年は31試合の出場にとどまった。
藤田監督は悪い部分は指摘せず、選手を褒める指導者。星野監督とは逆だ。私は怒られて這い上がってきたタイプなので、褒められるのは心地よかった。そんな巨人の環境に甘えてしまったのか、この頃は故障ばかりで藤田監督を助けられず、巨人はBクラスの4位に沈んだ。