巨人へ入団 現監督の原辰徳から「伊豆で一緒に練習しませんか?」と誘われた
「中尾さん、ボクたちは伊豆の修善寺でやるんですが、一緒に練習しませんか?」
中日の私と巨人の西本聖、加茂川重治との1対2のトレードが成立し、巨人入りが決まった1989年1月、4年連続30本塁打をマークした現監督の原辰徳から連絡があった。
ちょうど練習場所と相手を探していたため、「渡りに船」の誘いに「それなら、よろしく頼むわ」と二つ返事で了承した。
メンバーは鹿取義隆、岡崎郁、駒田徳広、吉村禎章、川相昌弘、後藤孝志といったところで、後に巨人の首脳陣として原監督を支える面々が名を連ねていた。
原が懇意にしていた不動産会社・大京のグラウンドには巨人の20人以上の選手が集結。それにしても、いいタイミングで誘ってくれた。
2歳年下の原(東海大)とは大学時代(専大)にオープン戦で何度も対戦し、全日本の合宿では寝食を共にし、一緒に遊んだ仲だった。きっと私が心細いだろうと、早く新天地の巨人で馴染めるよう、気を配ってくれたのだった。
練習内容は画期的だった。当時は大きな筋肉を鍛えることが主流の中、原の知り合いのトレーニングコーチには、体の内部の鍛え方を教わった。今でいう体幹トレーニングに近いかもしれない。すでに32、33歳だった私はそれまで、肉体的な衰えのスピードを緩める「維持」を目的とした練習をしてきたが、「進化」を感じて終わることができた。有意義な自主トレを送れたのは原のおかげである。