工藤公康から「妻が『中尾さんのスジネギ焼きが食べたい』って」と電話が
巨人に興味津々の西武の主砲・清原和博。「巨人のプレッシャーは凄まじい」とは教えたものの、ちょうどFA制度ができた頃で、いつかは巨人入りして夢をかなえてほしい。この若いホームランバッターが巨人の重圧の中、どんな活躍をするのかが見たかった。本人には言わなかったが……。
1992年シーズン、清原は史上最年少となる24歳10カ月で200本塁打を達成。この年は最高出塁率のタイトルを獲得した。そして4年後の96年オフ、FA宣言をして念願の巨人入りを果たすのである。
西武時代では、後に同じマンションで暮らすことになる左腕エース・工藤公康も思い出深い。
トレード移籍した92年、バッテリーを組んだ8学年下の工藤とは家族ぐるみで付き合う仲になった。工藤家は現在、俳優として活躍中の長男・阿須加君が前年8月に生まれたばかり。私の長男も同じ年の12月に生まれたこともあって馬が合った。ある時、工藤にこう聞かれた。
「中尾さん、どこかいいマンションないですかね? もうちょっと広い所に住みたいんですけど」