巨人の関西の宿舎では食事の肉に“序列”が 原と篠塚には最高級が出続けた
私が巨人へトレード移籍した1989年ごろは、原辰徳と篠塚和典がチームの中心だった。篠塚は原の1歳上で、野球以外のことでも、この2人が中心になって動いていた。
私が競馬好きなのは巨人ナインにも知られていた。春のGⅠレース前に原が「中尾さん、これ」と札束をポンと出し、「今日、中尾さんに乗るから、好きなように買ってよ」と言ってきた。腕まくりして予想すると、枠連が的中。払い戻しが5000円超だったため、原に100万円以上が入ることになった。レース後、喜色満面で端数分は私の手間賃でいいという。原は1月の自主トレに誘ってくれただけに、当たって良かった。私の予想が当たったのはたまたまだが、原はやはり強運の持ち主だった。すると、今度は投手陣の中心人物だった水野雄仁にこう頼まれた。
「中尾さん、今度のレース、いい馬ない?」
私が「結構自信がある」と薦めた枠連も的中した。払い戻しは470円の人気の組み合わせだったが、水野は結構な軍資金があったから、いい儲けになるはずだった。それが……。