“任侠演歌”でヒット 君夕子さんは10坪スナックのママに
■サパークラブで大儲け
芸能活動は思うような結果が出なかったが、前出のサパークラブは大当たりした。
「ミカド、月世界、ニューラテンクォーターとグランドキャバレーがまだ元気で、そのアフターでホステスさんと一緒にお客さんがよーけ来てくれた。たちまち赤坂のマンションが買えるくらい儲かりました」
しかし、歌への思い断ちがたく、クラブを畳んで85年に「昭和任侠伝」で歌手に戻った。
「ワタシ、藤(現・富司)純子さんや若山富三郎さんが好きでね。で、任侠路線で最後の勝負に出たんです」
これがズバリ的中! 続く「艶歌」「悲願花」「御身」も手堅く売れ、メガロポリス歌謡祭の演歌メガロポリス賞を87、88年と連続受賞。88年は日本演歌大賞演歌スター賞も獲得した。
「いい夢、見させてもらいましたわ。おかげでスパッと辞める決心もついた。あのままズルズル歌手やってたら、今ごろ大変やったと思いますよ」
11年、同じビル6階にものまねパブ「ものまねアラジン」をオープン。小林幸子公認のソックリさん、君島遼らのタレントが連日出演している。
「司会が80年代に大活躍したお笑いコンビ『パワーズ』の小田進也クン。ガンバってくれてます」
独身。東大阪市の実家に暮らす。