世界戦17連敗阻止 ボクサー工藤政志さんは年商2億円社長
さて、工藤さんは秋田県の八郎潟の東に位置する五城目町に1951年、8人兄弟の末っ子として生まれた。しかし、小学3年の時に父親が死去。小4から新聞配達で家計を支えた苦労人だ。
「ボクシングを始めたのは20歳を過ぎてから。それまではアマレスでオリンピック出場を目指す自衛隊体育学校生でした。ところが、72年のミュンヘン五輪の代表選考に漏れ、それをきっかけに転向したのです」
人並み外れた体力とパンチ力で、この年の8月、全日本社会人ボクシング選手権大会で優勝。プロを目指すべく除隊し、埼玉にあった熊谷ジムに入門。73年5月のデビュー戦は対戦相手の棄権で勝利し、その後も3戦連続KO勝ち。74年の全日本新人王を手にした。
そして和製クレイと呼ばれたカシアス内藤を判定で下した後、75年、6戦目にして日本チャンピオンになった。
「結婚したのは翌76年2月です。ただ、チャンプになってもファイトマネーは、すずめの涙。とても食えない。生活費は、小中学校の給食用のパンを運ぶトラックドライバーをして稼いでました」