在りし日の若松プロを映画に 愛弟子だった白石監督に聞く
ただし、若松監督は、自分たちや近しい題材を描くことは好まなかったという。
「山岳ベースでリンチで殺された赤軍派の遠山美枝子は、『赤軍―PFLP 世界戦争宣言』(71年)を全国上映するための赤バス運動を準備しているとき、若松プロにボランティアとして出入りし、おにぎりを握っていたそうです。若松監督は自分がよく知ってる子が、無残な死を遂げたことに強い衝撃を受けていた。当初、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08年)の脚本には、とある映像プロダクションという柱があり、遠山がおにぎりを握る描写があったんですが、監督は切った。引っかかる部分があったんだと思います。それもあって弟子の僕たちが若松さんを描くことに迷いもあったんですが、この作品は、あくまでめぐみさんが主人公の青春劇。若松さんが絶対やらないことをやればいいのかなって」
若松組から巣立ち、映画人として成功した者もいるが、志半ばで脱落した人は数知れない。
「それでも、めぐみさんや成功できなかった人たちの人生が輝いていなかったわけではない。みんな若松監督みたいな訳わからない人の下でカチンコ打って頑張っていたんです。そんな姿を撮りたかった」