【追悼】若き市原悦子さんを奮起させた二枚目スターの発言
「その時、頭の中にあったのは、『女優になろう』ということだけでしたね。フッと立ち上がりましてね(中略)、そういうところはもう夢遊病的なんです」
1957年に舞台役者としてデビューしたが、憧れの二枚目スター、森雅之に出身地を問われ、千葉と答えたところ「千葉の顔、だね」と言われたことに年頃の彼女は衝撃を受ける。
「その言い方に私は傷ついたんです。相当、強気だった私なんですけど、そのころはもうちょっと奇麗だったらなと思っていたんですね。(中略)結局、うっとりするほど奇麗じゃない私が、女優の道を歩み始めたんだということを、やっぱり考えましたね。この身ひとつを人前にさらす仕事なんですから、やはり、稽古を多く積んで、自分ならではの世界を創らねばね」
劣等感をはね返し精進を続け、舞台女優としての地位を確立。唯一無二の存在感で映画やテレビにも活躍の場を広げていった。芸能文化評論家の肥留間正明氏はこう話す。
「決して絶世の美人ではないけれど、ある意味で“平凡であること”を極めた方でしたよね。どこにでもいそうだけど、どこにもいないんですよ。『家政婦は見た』は、市原さんのあの雰囲気があったからこそ25年も続いた大ヒットシリーズとなったということに誰も異論はないでしょう。しかし表には出さずとも、強烈な“芯”を内に秘めた方だったと思います。脇役から声優、ナレーションまで、50年以上ありとあらゆる役柄をこなしてこられた。後世まで語り継がれる大女優だと思います」
近年は体調不安がたびたび伝えられていたが、亡くなる直前の昨年12月25日に病床で行ったナレーションの収録が最後の仕事に。“女優魂”を貫いた生涯だった。