放送作家の彼「タレントに手出した」という理由で丸刈りに
20歳を過ぎてからはお酒の席にも顔を出せるようになった。ドンペリのシャンパンの、栓が抜けるポンという音も泡も初めてなら、口をつけるのも初めて。
名刺を頂く機会も増えた。今ではくまモンのプロデュースで有名な放送作家の小山薫堂さんは名前の読み方が分からず、「なんて読むんだろうね」と隣の女の子と耳元で囁き合った。
もう一度、勉強しなおそうと、本を広げた。中学時代は眉村卓さんの小説が好きだった。その頃「アルジャーノンに花束を」を読んで、いつか自分も小説を書いてみたいと思った。「絵梨」というペンネームで作詞もしていた。挑戦したい気持ちが膨らんでいく、同時に「引退」という2文字が大きくなっていった。