森進一「襟裳岬」<後> A面かB面かで意見が真っ二つに
「襟裳岬」(1974年)
思いつきの企画が通って生まれた「襟裳岬」。作曲の吉田拓郎から届いたデモテープは、ものすごくテンポが速かった。これでは森進一の良さが出ないと私が取った策は、テンポを極端に落とすことでした。アレンジャーに「もっと遅く、遅く!」って。
そして歌入れの当日。伴奏用のカラオケを聴いたとたん、森進一は「こんなんじゃ歌えない!」って怒り出しました。そりゃそうです。もともとのテンポの速いデモテープを聴いて練習して来てるんですから。その場にいた吉田拓郎もひっくり返ってましたね、なんじゃコリャ(!)って顔で。
でも結果的に良かったと思いますよ。しかも使ったテークはほとんどがテストで歌った仮歌。まだ歌詞がうろ覚えなので、感情がこもり過ぎてないのが、前半の情景描写には良かったからです。でも、サビの部分はさすが、情感たっぷりに歌い上げて、見事でしたね。
さて、苦労したのはその後。私や森進一本人、当時所属してたナベプロの渡辺晋社長は「襟裳岬」推しだったのに、ビクターの社長は「世捨人唄」が良いって譲らない。当時はレコード会社の力も強かったですからね。