<7>前座時代に円丈師匠主宰の「実験落語会」に誘われて…
歌吾(4代目円歌の前座名)が入門した1978年当時、落語協会は前座見習の数が飽和状態で、正式な前座になるまで2年近くかかった。その間は師匠の付き人として雑用をこなす傍ら、新聞配達をして生活費を稼ぐ毎日だった。
前座の同期生は立川談志門下の談吉(現談幸)と柳家小さん門下の小たか(現小三太)である。
「談吉は談志師匠も認める優等生で万事に気が利くやつ。小たかは『与太郎』で有名なダメ前座です。両極端の2人が仲間でした」
前座になって3年目、新作落語の旗手と言われた三遊亭円丈(写真)主宰の「実験落語会」に誘われる。本来、前座は落語の基本である古典落語を勉強するもので、新作落語を演じるのは許されない。しかし、円丈はそんな慣例を無視して、前座にも新作をやらせた。
「もともと新作落語がやりたくてこの世界に飛び込んだので、渡りに船の誘いでした。作っている時からワクワクしました。当然出来は悪かったけど、ちょっとでも受けると快感が半端じゃない。何作か作った中で、一番好評だったのが『寿の春』です」