<7>前座時代に円丈師匠主宰の「実験落語会」に誘われて…
この噺は5歳上の兄が高校を卒業して大阪へ働きに行く夜、同級生が送別会を開き、酒を飲んでは酔って泣きながら語り合っていた姿を思い出して作ったものだ。
「初めは登場人物の会話を全編鹿児島弁で書いたんですが、東京の人には聞き取れないだろうと、漫画の『博多っ子純情』みたいに博多弁に変えました」
当時演芸評論家として実験落語会に注目していた私は、「寿の春」をリアルタイムで聴いている。博多弁で繰り広げられる若者たちの青春群像劇が面白く、しかも哀感が漂う。何よりも、その秀作を演じたのが前座なのに驚いた。以来、歌吾は実験落語会のレギュラーメンバーになる。
「円丈師匠にべったり付いてました。ある時、地方の仕事に付いて行くことになって、うちの師匠の許しを得ようとしたら機嫌が悪い。これはまずいと、仕事を断りました。ひょっとして円丈師匠に傾倒してたのが寂しかったのかも知れません」
師弟の間ではそのような複雑な感情が交差することがある。師匠には悪いと思ったが、実験落語会には頻繁に出ていた。そこで円丈から学んだことが今も役立っている。 (つづく)