<2>時の総理が後援会会長だった落語家は師匠だけでしょう
昭和7年生まれの円歌が昭和4年生まれと偽っていたのはどういうわけか。その理由を、歌之介は春風亭正朝から聞かされた。
「正朝兄さんが言うには、『うちの師匠(先代柳朝)が前座になった時に、先輩の円歌師匠に何年生まれかって聞かれ、4年生まれと答えたら、円歌師匠は生意気な柳朝に年下だと言ったらなめられると思って、同じ4年生まれと言ってしまった。これが真相だよ』とのことでした」
それで円歌の享年が85だったのがはっきりしたわけだ。
「それじゃついこの前、弟子一同で開いた米寿の祝いはなんだったんだということになり、一門全員で笑い合いました」
それから2年経ち、襲名披露が間近になった。
「なにせ派手なことが好きな師匠でしたんで、せこい披露目をやったら、あの世から何を言われるかわからない。とにかく精いっぱい派手にやりたいと思ってます」
披露パーティーは5日、帝国ホテルで開催された。料理は最高のフルコース、乾杯に供されたのは1本ン十万円のワインだとか。