講談を世に広めた“ヒゲの一鶴”こと田辺一鶴の斬新さ
山陽師匠は見るに忍びないと、一鶴師匠をバックアップした。
「師匠山陽が『こういう人がいるから講談界が広まるんだよ。もっと大事にしようじゃないか』って、一鶴先生の後ろ盾になりましてね、昭和48(1973)年に真打ちに昇進することができた。ところが、講談はそのブームに乗り切ることができなかった。一鶴先生の芸がダメということではありません。ただ、先生は新作専門で古典をやらなかった。当時一般的には講談といえば古典だから、派手に新作をやる一鶴先生の講談を期待して寄席に出掛けたお客さんが『思っていたのと違う』って戸惑ってしまった。その結果、お客さんをどんどん呼ぶことはできなかったんでしょうね」
「講談は本来、古典をとうとうとやるもの」
その点が一鶴師匠と6代目神田伯山との違いだ。
「あの子(師匠は伯山をこう呼ぶ)がやっているのは古典です。人気になっているけど、新作とか、おどけてやるわけでもありません。しかも、古典の中でも私がずっとやってきた連続物を標榜してやっています」
伯山の講談は、いわば保守本流なのである。
(構成=浦上優)