講談を世に広めた“ヒゲの一鶴”こと田辺一鶴の斬新さ
長い口ひげがトレードマークで「ヒゲの一鶴」として親しまれた、講談師の田辺一鶴。昭和39(1964)年に講談「東京オリンピック」で評判になり、それまでとは異なる斬新さ、派手なパフォーマンスで時の人だった。
「一鶴先生はもともと吃音を直すために、12代目田辺南鶴師匠に弟子入りした方です。講談は古典を講釈するわけですが、先生の場合、古典ではなく新作講談をやって受け、人気になった。先生が活躍したことで講談の存在が広く世の中に知られることになったわけで、その役割は大きかった」
一鶴一門と松鯉師匠の神田一門は同じ門下ではないが、こんな秘話があった。
「実は私の師匠山陽(2代目神田山陽)が一鶴先生をすごく可愛がっていましてね。私は一鶴先生の家に何度も遊びに行きましたし、親戚のようでした。ある時期、一鶴先生は私のような若造をつかまえて何回も泣くんです。『こんなに一生懸命やってるのに仲間が認めてくれない、悔しい』って。あれは先生の本音でしたね。講談界の中には人気者になった一鶴先生を面白くないと思う者がいたんでしょうな」