彼は神が間違いを犯さないかぎり物書きにはなれないだろう
「俳優になりたい」と始めたが、なんやかんやで15年が過ぎてしまった。気がつけば35歳。そのとき初めて「恥をかこう」と思った。映画やドラマも出れる場所がないのなら、自らで劇団をつくり思う存分演じ、見ていただき評価してもらおうと。そうしたら自分で書いた脚本であるのに自分がやれる役がない。恥をかく以前の問題になったが、「書く」ということに脳内からつうと涎が出た。いや、どぱーっと出たのだろう。
猛烈に書きたいと細胞が暴れ、35歳からのスタートとはなったが、そこからの時間はまさに気が触れながら作品を書いてきた。そして気がつけば44歳のときに処女作「ダー・天使」を出版できたのだ。
だから作家になりたいという青年に言いたいのは「恥をかく覚悟はあるのか」という問いだ。もし「落選するのが嫌」な理由がプライドだけの問題なら、生ゴミの収集日でなくとも即刻ビニール袋に入れて捨ててしまったほうがいい。
野球狂であるので例えれば、誰だって最初は奇麗なヒットが打ちたい。だがまず試合に出るためには、どんくさいヒットでもいいわけだ。内野の隙間をころころとボールが転がっていくのもよし外野にポテンとボールが落ちるもよし、かつての広島達川選手、西武金森選手のように当たってもいないのに「うぎゃー」と叫び体をひねりデッドボールの判定をもらってもいい。まず塁に出ることだ。そうすれば神は時々間違いを犯すので、才に恵まれていない青年にも、手を差し伸ばしてくれるかもしれない。だが、その神は悪魔かもよ。だってね、書くって、楽じゃないの。