「相棒」芹沢刑事役の山中崇史さんが振り返る俳優人生…地下鉄サリン事件「忘れられない」
水谷豊主演の連続ドラマ「相棒」(テレビ朝日系)のシーズン23の最終回(前編)が5日に放送される(シーズン23は5日と12日に前後編に分けて「最終回スペシャル」をテレビ朝日系列で夜9時から放送)。視聴者が期待する「相棒」のお約束は刑事コンビ、杉下右京&亀山対伊丹&芹沢の掛け合い、いがみ合うシーンだ。芹沢刑事を演じる山中崇史さんが俳優人生を振り返る。
■役者になる原体験は小3の学芸会
さいたま市の大宮で生まれて、住んでいたのは浦和と大宮でした。小学3年の時に茨城の三和町(現・古河市)に引っ越すことになりましてね。強烈に覚えているのは転校した学校でやった学芸会です。それが僕が役者になった原体験。
演目は「山幸彦と海幸彦」。当時の僕は背が小さくて目も悪く、牛乳瓶の底みたいに分厚いレンズの黒縁の眼鏡をかけていました。しかもよそからやって来たからみんな僕のことを知らない。それで心配した先生がおそらく僕の見てくれからお医者さんの役をくれたんだと思います。山幸彦が海幸彦から借りた針で鯛を釣り上げるのですが、鯛に釣り針を持っていかれてしまう。そこで竜宮城に行って、乙姫さまにお願いして針を取り返す。
黒縁眼鏡の僕は長めの白衣を着せられ、裾をズルズル引きずりながら、舞台の袖からナースを連れて出て行きました。出番はそこだけですが、それがおかしかったんでしょうね。
会場がザワザワし始めまして。鯛に近づき、口の中から針を取り出して正面を向き、「あった!」と大きな声をあげたら、ドッカーンと受けまして。大きな笑い声に拍手喝采……。その時の衝撃は雷に打たれて電気ショックが走ったみたいな感じ。すごく気持ちがよかった。あの感覚は今でも思い出すことができます。
もっとも、それが役者になろうと思った動機ではありません。転機は地元の高校を卒業する時です。目立ちたがり屋のところもあったんでしょうね、最初はテレビの人気者、例えば俳優とかタレントになれないかと漠然と考えました。
それで、そこから勉強を始めて入ったのが某俳優養成所です。やっているうちに楽しくなり始めまして。そんな姿を見た講師に「君は舞台に向いているかもしれない」と言われたんです。
その気になった僕は、よし舞台をやろうと養成所をやめました。講師の先生がテキストとして使っていたのが善人会議、現在は劇団扉座の横内謙介の戯曲でした。高校演劇部の全国大会で規定時間をわずかに超えて2位、20代で劇団を立ち上げずっと戯曲を書き続けているというすごい人です。その横内さんの扉座に興味がありました。
ただ、いきなりそこに飛び込む気にはなれなくて。養成所をやめた後は仲間と小劇場とかで芝居をやったり。でも、本当にお客さんが入らない。見に来るのはいつも高校の同級生と親戚だけという状態でした(笑)。
そしてもっとたくさんの人に見てもらいたい、知ってもらいたいという思いで、24歳の時に扉座のオーディションを受けることを決心しました。ちょうど「アインシュタインの子供たち」という作品を扉座が演っていたので見に行きました。驚いたことに脚本を横内さんが書いたのではなく、劇団員によるエチュード(即興劇)で作っていったというから、そんなこともできるんだ、コレはちょっとレベルが違うなと。劇団にはそののち「相棒」でご一緒することになる六角精児先輩もいました。ここに入ってうまくいけば、舞台で使ってもらえるかもしれないと思いましたね。
オーディションを受けたのは80人くらい、合格したのは4人。以来、扉座に所属しています。劇団ではいい役ももらえたし、ラジオのパーソナリティーなんかもやることができて、順調でした。