立川談志とダンカン誕生 すべては“池袋の夜”から始まった
クルクルクル~カラン、カラ~ン! ついに俺の人生ルーレットがその日に止まる時がやってきた。俺という人間、いや正しくは「ダンカン」という存在がこの世に誕生することとなる、あの1982年9月13日、38年前の池袋の夜から始まった物語を述べよう。
その時、俺の心臓はその場所、池袋演芸場の客席に入った途端にバクバクとまるで早鐘のように鼓動していたのを覚えている。その夜、池袋演芸場では「(立川)談志一門会」が催されていた。客席をギッシリと埋め尽くしたお客さんは次々と高座に登場する立川談志の弟子の噺家の落語に笑いと拍手を惜しみなく送っていたのだ。
その光景は緊張のデッドゾーンに入りっぱなしで、できることならこの場から駆け出してどこまでも逃げてしまいたいと全身が冷たい汗まみれになっている、決して冷静でない俺が見ても奇妙でしかなかったのだ。
あの当時、東京には新宿末広亭、上野鈴本、浅草演芸ホール、そして池袋演芸場と4つの定席(毎日昼席、夜席と落語や色モノのプログラムを組む寄席)があり、はとバスの団体客でも入れば別なのだが、普段はお客さんの数には頭を悩ませていたと思う。その中でもとりわけ池袋駅北口からほど近いところにある池袋演芸場は芸人泣かせで、よく「いや~、参ったよ! 昼席の高座に上がったらお客さん1人だもん、噺をするこっちも、見てるあちらも妙に照れちゃってさあ」「兄さん、それならまだいいですよ! あたしなんかお客さんが入り口のところで入ろうか? 入るまいか? もう、ふすまから顔半分のぞかせて様子をうかがってる……ホラ『巨人の星』のお姉さん、星明子状態で、噺を始めようかどうしようか? お互い間を計ってるようなことがありましたよ」と、これが決して笑い話や落語家のネタではなく正真正銘の現実、リアルだったのだから、その時、俺が満員の池袋演芸場を見て首をかしげていたのもわかってもらえるだろう。それらすべての答えはただひとつ!「談志が高座に上がる」だったのだ。