“星一徹”な昭和の親父の記憶 電話番号売ってひと儲け企む
前回、1964年の東京五輪で父親にテレビの前に正座させられてマラソン金メダリスト、エチオピアの裸足の英雄アベベ選手を見させられた思い出を述べたが、今回はあの頃の、現在では考えられない昭和の親父の記憶を振り返ってみるのだ。
これは、決してウソでも作り事でもなく、あの当時の父親はまさにアニメ「巨人の星」の父、一徹そのもので、自分の機嫌が悪いと(すべては自分の気分次第でした。例えばパチンコで負けたから家族に当たるとか……もう、そこに理論など存在しなかったのです)二言目には「だれが、おまえらを食わせてると思ってるんだア!!」とちゃぶ台をひっくり返す勢いだったのです。
そのくせ保守的というのか? やたら大勢に弱いところがあって「テレビはナショナル」(ウム……まだ松下電器だったっけ? とにかく現在のパナソニックの前身です)、「時計はセイコー」「ピアノはYAMAHA」と大きなメーカーのモノに弱かったのです。てか、わが家にピアノなんかないってーのに、たまたま何かの折に「河合のピアノ」でも目にしようもんなら、四分音符と八分音符も怪しいくせに「ダメだー!カワイだってよ、オイ! やっぱりピアノはYAMAHAだろー!! カワイなんてバッタモンだかんな、よく覚えとけよー!!」(河合楽器さん、ごめんなさ~い)とピアノにからむ始末だったのです。