立川談志とダンカン誕生 すべては“池袋の夜”から始まった
細かいことははしょるが、談志の落語協会からの脱会騒動(この後、本格的に歴史は動くことになる)などもあり、世の中の落語ファンは落語に、いや立川談志に飢えていたのだ。談志が高座に上がる。談志の生の声をこの耳で、談志の生の姿をこの目で……そんなトランス状態にあの夜の池袋演芸場は包まれていたのだろうか……。
そんな時間を経て、ついに談志が高座に上がった。その時を待ちわびた人々の歓喜が次の瞬間、まるで水を打ったかのような静寂へと変わった……。それはだれもが立川談志の言葉、一字一句聞き漏らすまいというものであったと思う。
そして談志の唇がゆっくりと動いた……。
「いやね……さっき金原亭馬生(名人5代目古今亭志ん生の長男)が亡くなりましてね……」
それがダンカンにとっての「開けーゴマ」の合図であった。 =つづく