<2>ネタ作りに苦労していたところ立川談志が助け舟を
菅「リーダー(旭)がアコーディオンを抱えて真ん中に立って、両脇に三味線の俺とウクレレの八郎がいる。形がいいよね」
確かに、旭が中央にいて突っ込むことで、仲のボケと菅の大ボケが生きて笑いになった。一連のネタは誰が作っていたのだろう。
仲「リーダーは変わった人でして、テレビを見ない、新聞はスポーツ欄しか読まない、週刊誌も読まない。流行歌はパチンコ屋で流れる歌しか知らないような人でした。時事ネタなんて作れるわけがありません。兄さん(菅)も作らないから、結局僕が作ることになりました」
とはいえ、仲にも限界がある。ネタ作りに苦労している時、助けの神が現れた。
仲「寄席以外の営業とマスコミの仕事を任せるのにプロダクションに入りました。毒蝮三太夫さんが社長のまむしプロです。当時そこに所属してたのが、社長の親友、立川談志師匠でして。師匠はボーイズが大好きで、小島宏之とダイナブラザーズをひいきにしてました。そんなことで僕らも目をかけていただくようになって、ネタを提供してくれたんです。天下の立川談志がです。ありがたかったですね」(つづく)