笑福亭鶴光師匠は初対面にもかかわらず「ウチへ泊まったらええがな」と
「鶴光でおま」「わんばんこ」など数多いギャグと共にラジオの深夜放送で絶大な人気を誇っておられた鶴光師匠は私が初めて会った芸能人でした。
6年半の入院・自宅療養生活を終えた1983年、25歳の時のことでした。漫才作家になるべく岡山県から大阪へ出てきて、テレビ・ラジオ・出版関係と手広く仕事をしていた事務所でアルバイトをしていると、事務所の社長が、私が鶴光師匠のファンと知り、旧知の毎日放送の角淳一アナウンサーに連絡を入れてくださり、「角さんに連絡しといたから鶴光さんに会いに行ってきたらいい」と手配してくれ、毎日放送の「ヤングタウン木曜日」を訪ねました。
中学生時代から「オールナイトニッポン」や「MBSヤングタウン」などを欠かさず聞いて投稿していた私にとって鶴光師匠は神。夜10時から始まるので9時前に伺い、少し見学をさせていただいて帰ろうと考えていたら「漫才作家になりたいんかいな。それだけでは食べていくのん大変やろうから、そのうち番組の構成もするようになるやろう。今日は最後まで見ていきいな。勉強や」と言ってくださいました。私は「ありがとうございます。ありがたいのですが終電がありますので……」と言いかけたら、鶴光師匠から信じられない一言が。