月亭八方師匠 自然体のまま、競争激しい芸能界を肩肘張らずに50年以上泳ぎ続けている
御年、まもなく74歳になられる八方師匠は、私の初めてのテレビ用台本、初めてのレギュラー番組を担当させていただいた思い出深い師匠です。
1984年、私がまだオール阪神巨人さんの漫才を書かせていただく前に「お笑いネットワーク」(読売テレビ)という番組で野球漫談を書かせていただいて初めてテレビ局からギャラをもらいました。内容は阪神タイガースファンの八方師匠の野球漫談。現「横浜DeNAベイスターズ」が「大洋ホエールズ」時代で「大洋はペナント(優勝)取らんとクジラ捕れ」というような阪神以外の5球団への“標語”を含めて阪神が優勝することがいかに大阪経済、ひいては日本経済を豊かにするかというような漫談でした。
そんなことがきっかけになったのか、86年からは12年間、「ナイト in ナイト」(朝日放送)の名物コーナー「八方の楽屋ニュース」のネタ集めを担当しました。“誰かが転んだ”というような、なんでもない話を「あわや芸人生命に関わる大惨事になるところを九死に一生を得た!」と針小棒大に加工する、八方師匠の真骨頂でした。本番前の1時間程度しかない打ち合わせの間に、10のうちの“1”の素材を八方流に創作加工する。我々リサーチ隊は八方師匠に料理していただくため、楽屋に出入りする芸人さんに「なんかオモロい話ありませんでしたか?」と、取材をして毎週20~30本の“ニュース素材”を集めます。当時は携帯電話もなく、楽屋で直接会った芸人さんに話を聞くことと、自宅の電話を教えていただいて、木曜日本番の前日に電話を入れてネタ集めをするのです。これは絶対面白いという話を八方さんに伝えると「もう話ができてるな。これ以上ふくらませようがないわ(創作しようがない)」という理由で却下されることも度々ありました。