西川のりおさんに取材すると「うめだ花月においでや、タダで入れるがな!」
1983年から漫才作家稼業を始め、最初に仕事でお会いした有名人が西川のりおさんでした。
当時、漫才を書くだけではとても食べていけないので、テレビ・ラジオ・出版関係と手広く関西圏の仕事をしていたリサーチ会社でアルバイトをしていました。
2年目の時、「週刊現代」の取材でのりおさんのインタビューをすることに。取材といっても自分で記事など書けるはずもなく、先輩のライターから質問項目を書いた紙を渡され、カセットのテープレコーダーを持って、ただただ話を伺うだけの役目で楽屋を訪ねました。
漫才ブームを経て「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)などバラエティーでも大人気。“超”のつく売れっ子で、その豪快な芸風から“壊し屋”“暴走王”などと呼ばれ、会社でも「余計なことを言って怒らせないように」とクギを刺された私は緊張でガチガチ。ご挨拶と取材の趣旨を説明すると「よろしくお願いします。君が書くのん? バイトで話を聞きに来ただけなんや。君はライターになりたいんかいな?」とこちらが質問され、「将来は漫才だけを書いて食べていける作家になりたいです」とお伝えすると「漫才書いてんのかいな!? (ギャラが)安いから大変やぞ。そうかいな、頑張りや!」と励ましていただき、インタビューを終えると「これからうめだ花月行くけど、時間あんねやったらおいでや。タダで入れるがな!」とうめだ花月へ連れていっていただき、出会った劇場スタッフの方に「この子、漫才書いてんねん。なんかあったら呼んだってや。名刺渡しとき」と紹介してくださり、「頑張りや! またウチ(西川のりお・上方よしお)のも書いてや」と背中を叩いていただきました。