笑福亭鶴光(下)後輩や、この道を志す者にいつも優しく接してくださる
1983年のこと、人づてに当時大人気だったラジオの「MBSヤングタウン木曜日」の鶴光師匠を訪ねた際、初対面でどんな人間かもわからない25歳の私に「ウチへ泊まったらええがな」と言っていただき、師匠の車でご自宅へ行くことになりました。夜中の1時前ごろ、リビングで師匠自ら夜食を出してくださったのですが緊張しっぱなし。何を食べたのか全く記憶にありません。3時すぎまで「漫才書くいうてもいろんなこと知ってなあかんさかいな、しっかり勉強しいや」「仕事もらえるようになるまで大変やで」「ラジオ(ヤンタン)はいつでもおいで」と初対面の私に本当に親身になって業界内の話をし、アドバイスをしてくださいました。
そして「ボチボチ寝よか」となった時に、またまた予想もしなかったことが……。
リビングを出て、しばらくして戻って来られると「スマン、嫁はんの友達が泊まってんねや。ここで寝てもらうわけにもいかへんから弟子呼ぶさかい、そいつのとこで寝さしてもうてくれるか、ごめんな! 俺から誘っといて」と頭を下げられ、ほどなくして近くに住んでおられた笑福亭学光さんが迎えに来られました。玄関まで見送ってくださる師匠に「ありがとうございました」と最敬礼でご挨拶をして、学光さんのバイクに乗ってアパートへ。部屋に着いたら布団を用意してくださってましたが、眠ることなく鶴光師匠のこと、業界のことを今度はお弟子さんの目線で聞かせていただきました。始発で帰ろうとすると「師匠から朝ご飯食べさせてやってくれって(お金)預かってるから、食堂が開くまでゆっくりしていき」とコンビニのない時代、駅前の食堂が開くまで、また話を続けました。