学生時代のぼくはジュークレコードで「対話」していた。誰と? レコード棚と。
先月末、福岡の老舗レコード店「ジュークレコード(JUKE RECORDS)」創立者の松本康さんが永眠された。享年72。1970~80年代の博多発のビート音楽、通称「めんたいロック」の主導者であり、ぼくにとっては音楽の聴き方を教えてくれた先生だった。
松本さんは、この国を代表するブルースロック・ギタリスト鮎川誠さんの盟友。鮎川さん同様に学究肌でブルース研究家と呼び得る圧倒的な知識量を誇った。加えて、鮎川さん率いるシーナ&ザ・ロケッツに歌詞を提供する、優れた音楽クリエーターとしての側面もあった。
だが本人には複数の顔を持つことへの興味はさほどなかったらしい。バンドのプロデュースだろうとラジオ出演だろうと「レコード店主」の立場を貫き、またそのことを誇らしく思っていたようだ。自分が人生を変えるほど感銘を受けた音楽の愉しみを若い人たちに教えたい。くり返しそう語った。
ぼくがジュークに初めて足を踏み入れたのは40年前、中3のとき。野球部のつらい練習から逃れるように音楽の魅力にはまった。185センチの巨躯に彫りの深い顔立ちの松本さんはすごく大人に見えたが、当時まだ32歳であったとずいぶん後に知った。