五月の歌舞伎座「團菊祭」で尾上眞秀が立役・女方“二刀流”の決意表明
團十郎はテレビドラマや映画でも信長を演じているが、常にこの芝居の信長のイメージがベースにあるように思う。昭和に書かれた新作歌舞伎で、父子三代で受け継がれ、なおかつ、この家の役者しか演じていないのは珍しい例。歌舞伎十八番ではないが、これも成田屋の「家の芸」だ。
團十郎にとっては新之助・海老蔵時代から4回目。父のような存在の守役が自死したのを受けての詠嘆と決意は、團十郎自身の声としか思えないほどシンクロする。
夜の部は松緑が祖父・二代目松緑が作った『達陀』。詳細は省くが、これも松緑家の父子四代の継承となっている。東大寺・二月堂の「お水取り」を題材にしたもの。宗教儀式は演劇的で、演劇には宗教的要素があるから、もともと両者には親和性があるものだが、歌舞伎座全体が二月堂になったと錯覚するほど厳粛で、なおかつ幻想的で、普段とは異なる空間となった。後半の通常の歌舞伎舞踊とは異なる群舞は圧巻の迫力。
菊之助も「家の芸」の『髪結新三』に挑む。明治の五代目菊五郎が初演した演目で、菊之助は二度目、他の役者もほとんどが初役で演じているので、初演に近い雰囲気。みな、くっきりと演じているので、どことなく発表会的でもある。もう少し崩してもいいと思うのだが、今は望めないのだろう。改めて、菊五郎や勘三郎の緩急自在は、「地」はなく「芸」だったと思い知らされる。
明治座は4月.5月は創業150年記念の歌舞伎公演。今月は市川猿之助が昼・夜通じて主役の奮闘公演。ここも家の芸の継承で、伯父・三代目猿之助(猿翁)が作ったものを演じている。
(作家・中川右介)