【追悼】おかゆうたくん オチが決まった瞬間にニコッと「ドヤ顔」が忘れられません
8月22日、脳出血のため亡くなった、おかゆうたくん(享年61)。1981年に吉本新喜劇の大看板だった岡八朗師匠に入門し、翌年開校したNSC1期生として入学。同期にはダウンタウン、トミーズ、ハイヒールらがおり、卒業後に同期だったけんたくんと「おかけんた・ゆうた」を結成しました。
いまや「伝説の番組」となった、ダウンタウンの「4時ですよ~だ」にもレギュラー出演して人気者になり、ダウンタウンが東京へ進出した後は、大阪で漫才師として頭角を現し、99年には「上方漫才大賞」を受賞。NGK(なんばグランド花月)でも欠かせぬ存在になっていました。しかしながら、2005年ごろからゆうさんが体調を崩し、最近はコンビでの仕事もできなくなっていました。それが今年、コンビ結成40周年を機にもう一度漫才をやろうと8月15日に復帰漫才をし、1週間後に突然、天国へ旅立ってしまいました。
私の漫才の師匠がオール阪神・巨人さんだとしたら、コントの師匠は間違いなくけんた・ゆうたくん。40年近く台本を書かせていただいているオール阪神・巨人さんと同じ、岡八朗一門の弟弟子ということもあり、早くから知り合い、漫才のネタの手伝いもしていました。15年近く続いた「痛快!エブリデイ」(関西テレビ)という番組の中で、身の回りにいた、見かけた迷惑な人たちをコントで再現して紹介する「こんな奴は許せない!」という人気企画があり、全部で30回近く、コントにして200本以上、全てを書かせてもらいましたが、その時にプロデューサーに唯一お願いしたのは「必ずけんた・ゆうたをブッキングしてください」でした。漫才で鍛えたしゃべりとアドリブ、岡八朗師匠のもとで学んだ確かな演技力の両方を兼ね備えていたので、相手役がセリフを忘れたり、段取りを間違えたりと、どんなハプニングが起こっても完璧にフォローして進行させる力を持っていると思ったからです。また実際に期待通りの働きをしてくれました。