松本人志と故・やしきたかじんさん「遊びの流儀」の違い…人に恨まれない“豪遊伝説”は今も色あせず
まだ顔が知られていなかった東京で「わいがたかじんや」
今だから言えるが、この熱愛の情報源は故・ミヤコ蝶々さんだったことから、信ぴょう性が高いと判断し、取材に出掛けたことを記憶している。
たかじんさんは朝方まで飲んでいて、自宅前で待機していた筆者は朝帰りしたたかじんさんを直撃した。藤山との熱愛は否定したものの、話をするうちに意気投合し、そのままたかじんさん宅で飲み始めた。昼近くになり、レギュラーのラジオ番組に出演すると言うので同行。ついでに番組にも出演した。帰りに「今度は銀座で飲もう」と約束。たかじんさんと筆者の共通の知人である、島田洋七(73)と3人で飲むことになった。
後日、たかじんさんと銀座で待ち合わせ、3人でクラブを5軒はしご。アフターで行った店で、たかじんさんは「東京」を熱唱。聞き惚れたホステスが「たかじんそっくり!」と絶賛すると、「わいがたかじんや」と言ったのを忘れない、それほど、東京では顔が知られていなかった。その際の支払いには苦労したが、その後、たかじんさんは洋七と筆者を北新地に招待することになり、その豪遊ぶりには驚かされたものだ。
「飲み会に来た女性たちに松本や後輩芸人が支払ったのが、5000円とか1万円と文春に報じられています。今のお笑いは、3分の2が女性ファン。文春が報じた松本の女性への対応が事実であれば、今後お笑い人としては厳しいでしょう」(芸能ライター)
たかじんさんは後輩に好みの女性を集めさせて、密室で飲み会を開くようなことはおろか、人に恨まれるような遊び方はしていなかった。当然、女性に限らず金払いは大スターそのもので、当然支払った金額はケタ違いだったのは言うまでもない。
(本多圭/芸能ジャーナリスト)