純烈・白川裕二郎さん 愛猫みかんを亡くして1年…「仕事から戻ってくるのを待ってくれた」
7年連続紅白出場はリーダーの一言から始まった
純烈は今年も紅白歌合戦に出場させていただきます。7年連続です。日本レコード大賞の優秀作品賞は6年連続。年明けは「明治座新春純烈公演」があり、1月8日には新曲「奇跡の恋の物語」もリリースされます。
僕にとって大きかったのはリーダーの酒井一圭の一言です。
純烈に入る前の僕は、役者としては鳴かず飛ばず。1年に何本か舞台に出るくらいで食うや食わずでした。そんな時にリーダーに「紅白を目指そう」「夢は紅白、親孝行」と誘われ、純烈に入ったことで人生がガラッと変わりました。2007年のことです。
入ってからの転機もあります。最初の頃はうまくいかなくて、売れない時期が結構、長かったですからね。健康センターでたくさん歌って人気は出てきたけど、なかなか光が見えない。このまま続けた方がいいか迷ったことも一度や二度ではありません。
そんな時、16年に「なにゆえのカリスマ!?」(TBS系)という深夜バラエティーに出演しました。僕たちとファンが一緒に出る番組でした。そのファンの人たちがメチャクチャ面白くて、オンエア後、「純烈って何者なんだ」と話題になったんです。そして次の日からはマネジャーの電話が鳴りっぱなしに。それがきっかけで純烈に密着する番組や特集が組まれるようになり、「スーパー銭湯アイドル」というネーミングをつけてもらうことができた。あの番組に出て、まさかあんな展開になるとは夢にも思いませんでした。
小学生の時の同級生とグループLINEがあるのですが、いつもは飲みの誘いとかだけど、「見たよ」というのがバーッと来て。中学時代の友だちもたくさん連絡をくれたり。世の中がざわついているのをなんとなく感じました。
リーダーもオンエアを見た奥さんと「もしかしたら、純烈、行くかもしれへんで」みたいに直感したそうです。あの番組がなかったらどうなっていたのかと今でも思います。
紅白初出場の時のことも思い出しますね。初出場は18年です。あの時は「純烈紅白初出場決定」と新聞に載ったんですよ。その瞬間に涙が止まらなくなり、泣き崩れました。
そして紅白に出た直後に結婚をスッパ抜かれたんです。最後に「蛍の光」を歌い、楽屋に戻って一息つこうとしたら、事務所の社長から「裕二郎さん、ちょっと」と呼ばれました。「どうしたんですか」と言ったら「結婚がスッパ抜かれます」って。でも、僕としては驚きより「ホッとした」という思いでしたけどね。
前の事務所にいる時に「発表してもいいか」と言ったら、「ちょっと待ってくれ」と言われました。そして今の事務所になってからも「発表のタイミングがないか」と思ってモヤモヤしていましたから。
当時は紅白が終わってすぐ東名厚木、草加、相模原の健康センターを回っていました。紅白に出た感謝の気持ちを込めてステージに立っていたんです。
相模原の健康センターだったかな、リーダーが出たばかりの朝刊をステージに持ってきて、それを筒にして記者さんみたいに「白川さん、結婚が出ましたね」ってイジられて。ファンのみなさんは泣いて喜んでくれましたけど。
これからも純烈を応援してください。
(聞き手=峯田淳)
◇1月8日 新曲「奇跡の恋の物語」リリース
◇1月7~28日「明治座新春純烈公演」