“最後の無頼派”「高須基仁さんを偲ぶ会」が開かれる
記者は2009年に酒井法子の薬物事件裁判取材を一緒にして以来ま付き合い。アウトサイダーたちの対談を週刊誌で連載し、「悪人正機」という本も出版したりした。氏の人脈の広さからもたらされる特ダネをたびたびもらったが、それは高須さんが記者の目線ももっていたからである。
さて、矢内氏は大学時代に雑誌「ぴあ」を1972年に創業したが、当時の様子を小さな熊のぬいぐるみをスーツのうちポケットから取り出しつつ、次のように話した。
<取次(本の問屋)を通せなかったぴあを書店に置いてもらうために、高須先輩はトミーから車をもってきて、何度もぴあを書店に運んでくれました。最初にぴあを置いてくれたのは89の書店でした。あるとき高須先輩が、トミーから熊のちいさなぬいぐるみを89個持ってきてプレゼントしてくれたんです。「矢内、その書店の恩を絶対忘れるなよ」と言われました>
会社員でありながら型にはまらず、融通無碍にやりたいことをやるところが高須基仁さんらしい。その一方で亡くなった友人の追悼や墓参りをいつまでもやっていた。