コロナはまだ未知なもの…いまは判断、行動にとらわれず、自由に思考すべき
コロナについて考えるとき、理解しがたいものについて、自分の行動とは真逆なものについて、よくよく考えてみる。いったんマスクを着ける/着けないと判断したうえで、着けたのであれば、着けていない場合のことをよく考える。着けていないのであれば、着けたときのことを考える。具体的に言えばそういうことである。マスクを着けると、着けたほうがいいという情報ばかりを集めやすいし、考え自体もその方向に振れがちだ。マスクを着けないとその逆である。それは思考停止に他ならない。
コロナそのものは、まだまだ訳のわからないものだ。だからこそ考えるに値する。わかったと思った端から、いやまだ訳がわからないと考えたほうがいい。このように行動すればいいのだと判断できたと思ったときから、むしろそうでない行動についての思考が始まる。行動は行動、思考は思考、そこを切り分ける。
また観念的だと言われるだろう。しかし、考えるということは観念的だということだ。観念的でないとすればそれは考えていないということになる。
コロナは風邪だ、いや風邪ではない。どちらの意見の人も、自分自身の行動とは別に、もう少し反対意見について考え続けてみてはどうだろうか。