ここはどこ?私は誰?の状態でした…歌手の松原愛さんもやもや病を振り返る

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手術から2年後に新曲を発表

 術後、しばらくはぼーっとしていたと思います。「ここはどこ? 私は誰?」の状態でした。記憶力を回復させるために毎日同じ物語を聞いて問いに答える試験が繰り返されました。左手を使って粘土で動物を作ったり、小豆をお皿からお皿に移動させたり……。根気のいる毎日でしたが、1カ月後、それらの試験で100点を取り、ようやく退院になりました。

 退院後のリハビリはたった1週間だけでした。あとは生活の中で自然に回復してきたのです。左脚は引きずっていましたし、階段は上れなかったし、外で迷子になったこともありました。でも、手術から2年後には新曲を出しました。聞くたび、歌うたびに脳が活性化するように、活性化するテンポ(1分間に116回のリズム)で曲を作っていただいたのです。それも回復に役立ったと信じています。ただ記憶力は少し悪くなりました。歌詞がよく飛びます。これは後遺症じゃなくて年齢でしょうか(笑)。

 手術が怖くて薬でもやもや病の治療をしている人もいるようですが、私は手術ができたことを幸せに思っています。脳梗塞の手術をすると、そのショックで再び脳梗塞を起こしやすいそうですが、私は再入院することもなく、「本当に半身不随だったの?」と疑われるくらいまで回復できました。主治医のおかげです。現代では開頭手術ではなく、頭蓋骨に小さな穴を開けるだけで行う手術もあるようなので、昔より確実に技術が進歩していると思われます。

 薬は20年間、処方されているものを飲み続けています。血圧降下剤と呉茱萸湯という漢方薬とビタミン剤。ずっとこれ。

 変わったのは、お酒を飲まなくなったこと。以前はお酒が大好きでした。でも、脳梗塞の原因になると知ってきっぱりやめられました。

 手術から12~13年後には、もう少し手を動かしたいと思い津軽三味線を習い始めまして、おかげさまで名取まで取らせていただきました。子供の頃に普通の三味線は習っていたのですが、たまたま知り合いが近所で津軽三味線の先生をしていたので通ったのです。初めは左手で弦を押さえることが全然できませんでした。けれど、続けていればできるようになるもんです。何事も諦めないことが大事かなと思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽松原愛(まつばら・あい) 1955年、北海道出身。74年、「愛と誠」のラジオドラマの主題歌を歌うデュオ「あいとまこと」でデビュー。翌年にはソロデビューを果たす。大林宣彦第1回監督映画「HOUSE ハウス」では主役を務め、その後もテレビや映画で活躍した。作詞家の山田孝雄と結婚し、現在は作詞を手掛けるなど歌手活動も再開。横浜で歌の教室「松原ラボ」を開いているほか、ユーチューブ「松原愛チャンネル」では動画編集も手掛ける。

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