【大統領】(大阪・泉佐野)頑張る2代目に訪れたハッピーな知らせ
チャルメラの音色に誘われて、屋台のパイプイスに腰を落ち着け、ラーメンをすする。昭和生まれにとっておなじみの光景は、いまや“絶滅危惧種”になりつつあるが、それでも人気を集める屋台ラーメンもある。人情も味のうち。今夜は、屋台で〆よう。
♪チャララ~ララ、チャラ、ララララ。昔なつかしいチャルメラのメロディー。この曲が流れると屋台ラーメン「大統領」の登場だ。
古めかしい手引き屋台。店の本家がある大阪・平野から泉佐野まで約30キロ。初代は50食のラーメンと具材を積み、屋台を引いて国道26号をひたすら歩いた。
「そして完売した地がここ泉佐野だったので、のれん分けをしてもらった時にこの地で創業した。昭和35年のこと。それから往復2時間。毎日電車に乗って平野まで具材を取りに行き、屋台を引っ張った。スピーカーになる前はチャルメラの音色を口笛で吹いてね」
息子の2代目・伊藤秋彦さん(64)が教えてくれた。
初代はその後、手引き屋台から軽トラへ移行させ、遠くの都市まで赴いて商売するようになる。完全歩合制で人を雇い、電話注文も受け付け、全盛時には拠点となる営業所が150カ所にも膨らんだ。創業時の苦労が報われた時期だった。
だが、24時間営業のコンビニの登場で大打撃を受ける。
「お客を取られて売り上げが落ち、高齢化もあってどんどん人が減った。時代の波には逆らえなかったね」