天皇を欺いて「死んでもらわなければ困る」という立場に

万朶隊の隊員に陸軍伍長の佐々木友次がいた。昭和19年11月12日の攻撃に佐々木は4番機で出撃することになっていた。九九式双発軽爆撃機の操縦には4人が必要とされたが、佐々木は800キロもの爆弾を積み、一人で飛行したという。
佐々木はレイテ湾でアメリカ艦に突っ込むが失敗する…
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