公式戦出場ゼロながらあの背番号「1」「3」の両方を付けた幻の巨人選手
背番号にはドラマがある。巨人の「1」といえば王貞治、「3」といえば長嶋茂雄。巨人でその栄光の番号を両方とも背負った選手がいた。けれども、公式戦に1試合も出場していない“幻の選手”。実は天才プレーヤーだった、と伝説が語り伝えられている。
その名は明大出身の田部武雄。1931(昭和6)年の日米野球を前に日本代表チームをファン投票で選んだ際、中堅手として7万6192票、代走として9万8881票、計17万5000余票を集めたほどの超有名選手だった。
このとき25歳。同期生より3年ほど年長で、ここに“奇人・田部”のナゾがある。10代半ば、広島の広陵中を1年途中で退学し、満州の奉天に渡って大連実業でプレー。その頃、遠征に来た明大OBから勧誘を受け、明大進学の資格を取るために広陵中に復学。すぐエースとなり、27年の選抜大会で準優勝。出場年齢制限なしの時代とあって21歳だった。
日米野球を終え大学を卒業すると実業団チームで活躍していたのだが、間もなく行方不明に。山口県と福岡県の鉄道会社に勤めて車掌などをしていたことが分かり、巨人は35年の第1回米国遠征のメンバー入りを説得。このときの背番号が「3」だった。109試合で105盗塁。30歳ながら快足を買われ、エース沢村栄治とともに大リーグから誘われた。