海軍と陸軍は資料を「メーキング」して天皇を騙していた
東條英機内閣が総辞職したのは昭和19年7月18日である。後任を決めるにあたって、この戦争をまだ続けるのか、それとも講和を目指す内閣にするのか、それが問われていた。これは近衛文麿が日記で明かしているのだが、本来なら皇族内閣を組織して、和平を目指す動きもあった。しかし、それではあま…
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