晩年“シベ超”でお騒がせだった水野晴郎
もっとも、肝心の演技については「私は演技がヘタでした。そこはご勘弁ください」と告白。実際、セリフは棒読み。さらに、“最後のドンデン返し”は映画では禁じ手のネタが盛り込まれるなど、映画監督や作家からは「もう勘弁してください」「これは映画と思って見たらダメなんだ!」「これを見て私の創作に対する姿勢も変わりましたよ」といった感想が寄せられた。
しかし、あまりにも堂々とした棒読みと辛口論評が逆に“カルトムービー”としての人気に火をつけた。“シベ超”の続編はトータルで12億円がつぎ込まれ、映画4作品と舞台2作品が05年までに製作された。
水野は全7作のシリーズ構想に基づいて、脚本もすでに完成させ、締めくくりとなる映画の準備に取り掛かっていた。しかし、この頃から肝臓の悪化や骨粗しょう症による骨折で仕事も思うに任せず、映画撮影終了のたびに危篤に陥るほどに。
最終エピソードのクランクインを目前にした07年12月、水野は自宅で転んで肋骨を折って都内病院に入院し、撮影は翌年5月以降に延期。当時、6人の監督により外伝を撮るオムニバス企画も立ち上がっていたが、「主役が入院しちゃったからオムニバスも進んでいないんです」とこちらも中断を余儀なくされた。