星野哲郎氏と衝突 水前寺清子「マーチは嫌!」とゴネていた
大ヒット曲「三百六十五歩のマーチ」を歌いたくないと、愛弟子から言われた師匠は1時間近く黙り続けた。見かねたレコードディレクターに「1回でいいから歌ってみてくれ」と言われ嫌々歌うと、「もう1回だけ」。
「2度目に<♪あなたのつけた足跡にゃ>の部分だけにこぶしをつけて歌ったら、<OK! こぶしはそこだけでいこう!>ってことになっちゃった。まだ、その頃は先生の思いを理解できていなかったんですね」
晩年、妻を亡くした師匠は、付き人より愛弟子に世話をしてもらうことを好んだ。「みかん」「おにぎり」と食べたいものを手渡してくれと頼まれるのは水前寺さんだった。
「渡すと払いのけるんです。でも食べさせて差し上げると喜んで食べる。甘えてもらっている感じがして、ちょっとうれしかったですね」
恩師の口癖は「一日を一生と思え」だった。
「頑張って生きないと、この一瞬は二度と戻らないと、叩きこまれましたね。私にとって星野先生は人生の師です」
だが、その人生の師との永遠の別れがやってきた。10年11月のことだった。