会社か芝居か 山西惇が“役者一本”決意した生瀬勝久の一言
サラリーマンを続けるか、芝居の道に切り替えるか? それで食べていけるのか……。人生の大きな岐路でした。それで迷いに迷った揚げ句、生瀬さんに相談したんです。
そして、いとも簡単に言われたのが冒頭の言葉です。それに肩をポンっと押され、僕は退職することにしました。生瀬さん自身、同志社大学を卒業する際、ある企業から内定をもらっていながら「1回きりの人生なんやから、ホンマに好きなことをしたい」と誓約書にハンコを押す直前に芝居を選んでますからね。
多分、あの一言がなかったら、僕は今こうして俳優をしていなかったでしょう。以来、01年に揃って劇団を辞めるまで二人三脚でさまざまな舞台をつくってきました。
■「相棒」出演のきっかけも生瀬さん
振り返れば、同志社大学の劇団「第三劇場」所属の生瀬さんを「そとばこまち」2代目座長だった辰巳琢郎さんがスカウトしたのは、僕が京大工学部2回生の時、82年です。その年に上演した野田秀樹さん作の「二万七千光年の旅」が初共演なので、随分と長い付き合いです。