勘三郎さんがタクシーの中で私の足元に潜り込み太ももを…
1970~90年代、私は毎晩200万円はくだらない売り上げをあげる銀座のホステスでした。平成生まれにはわからない贅沢な生活がありました。そして、私自身も「銀座の女」という贅沢品の一部として、たくさんの男性から貢がれ、愛を注がれ、磨かれてゆきました。そんな時代も今は昔、中村勘三郎さん、西城秀樹さんなど当時お世話になった芸能人の方々が亡くなるたびに、もう私もそんな年になったのだなと思います。そんな私の恋の昔語りをさせていただきたいと思います。
亡くなったとき、あれだけ浮名を流しても誰一人文句を言わないばかりか、歴代の彼女たちが勢ぞろいしたというのは中村勘三郎さん。私もつかず離れず「大人の関係」で長くお世話になりました。勘三郎さんと初めてお会いしたのは私が27、28歳。作詞家の山口洋子さんの経営する銀座の「姫」にいたころ。確か、出会ったころはまだ独身で、太地喜和子さんと破局した後だったと思います。お店に来た時にチケットをいただいたので、和服を着て歌舞伎を見に行き、楽屋に挨拶に行ったのがおつきあいの始まりでした。
デートは若手役者を連れだって3、4人で食事をし、帰りのタクシーで後輩を降ろし、私の部屋へ。銀座からは窓ガラスがスモークで見えない白タクを利用したり……。当時私が住んでいたマンションは山口百恵さんも住んでいた高輪のマンションで、週刊誌の記者がよく張り込みをしている建物だったので、マンションの入り口に近づくと座席の下に隠れてマンションの門をくぐるのです。そんな時、勘三郎さんは私の足元に潜り込み、太ももをまさぐり、いたずらっ子のように顔を覗かせるのでした。