そんな彼の義理堅さが“命取り”だったんじゃないかと思えてなりません。話に聞いていた病状はそれほど悪いものでもなかったし、顔色も悪くありませんでした。紹介されたお医者さんに失礼だからと、セカンドオピニオンをとることもなかったと聞いています。あの時、治療の選択肢を増やしたら、もっと生きながらえたんじゃないか、それができなかったのが勘三郎さんの良さでもあり、残念なところでもあり……。もしも生きていたら、東京五輪でステキな演出をされたんじゃないかと思うだけに、あれほど早く亡くなってしまって残念でなりません。
(つづく)