しゃべりだけで泣かせる“人情噺”は話芸の極みと言えますが
年の瀬になるとクラシック音楽業界はベートーベンの第九が有名ですが、我々落語界も年末恒例の噺(はなし)がありまして、それが「芝浜」。歌舞伎の演目にもなっている名作落語、あまり落語を知らない人でも題名ぐらいは聞いたことがある人情噺の代表格です。今回は人情噺の落語家とお客さんの認識について書かせてもらいます。
人情噺をやる落語家のことをお客さんは名人上手と褒め称え、若手が取り組めば大ネタに挑戦なんて好意的に受け取られます。確かに座布団の上、たった一人のしゃべりだけでお客を泣かせるというのは話芸の極みと言えるでしょう。やってる噺家も気持ちがいいんです。人情噺を聴いて噺家を志した、人情噺がやりたくて噺家になったなんてのもいることはいるのでしょう。でも落語家側から見ると、これは私見ですが、そんなに人情噺の比重って大きくなくて、こっちの引き出しも持っておこうかなぁって感じなんですよね。実際に人情噺の名人っていう表現はあまり聞きません。名人は滑稽噺でも名人だから。そしてお客さんとの認識の違いで、プロにとって演じるのが難しいのは人情噺より滑稽噺なんですよ。「バカいうな! 人情噺の方が難しいだろ!」という声が聞こえてきたので解説しましょう。渥美清さんや伊東四朗さんらの喜劇人は泣かせる芝居もうまいのがいい例ですかね。悲劇人っていうのがいるのかどうかはわかりませんが、もしいたとして、その悲劇人は笑わせることができるのでしょうか。