「百恵」の2文字 表紙にあれば雑誌はバカ売れするジンクス
山口百恵 編
私の芸能記者生活で、もっとも長きにわたり取材に関わったのが山口百恵さん(61=以後、敬称略)だった。改めてその足跡をたどりながら、いかに芸能メディアが百恵と寄り添ってきたかをひもとく。
1971年にスタートした初のオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)は森昌子を皮切りに桜田淳子、小泉今日子、中森明菜ら多くのアイドルを輩出した。なかでも山口百恵の出現は芸能界から出版界まで、さまざまな分野に影響をもたらした。
72年、地区予選を勝ち抜き臨んだ本選。審査員の作詞家・阿久悠氏は「青春ドラマの妹役ならいいけど、歌手は諦めたほうがいい」と厳しい意見だったが、結果は準優勝。獲得に手を挙げた事務所は20社に上った。番組を立ち上げたプロデューサー・池田文雄氏は百恵の印象をこう話していた。
「(桜田)淳子が太陽のように明るくて健康的だったのとは対照的に、百恵は影がある子でアイドルらしさはなかった。逆に“なにか持っている”という雰囲気を感じたのかもしれません」
抽選で獲得したホリプロの創設者・堀威夫氏に後のインタビューで舞台裏を聞いたことがある。
「すでに昌子と石川さゆりがいたので、百恵も入れて“ホリプロ3人娘”を結成しようという計画があったのですが、さゆりはソロで演歌路線に行くことになり断念した」