坂本龍一&矢野顕子 大型カップルの別居・離婚
<2006年8月>
日本人初のアカデミー作曲賞受賞者で、“教授”のニックネームで知られる元YMOの坂本龍一。シンガー・ソングライターの矢野顕子との間にミュージシャンとして活動中の坂本美雨が生まれたのは80年5月。交際のきっかけはYMOのツアーに参加した矢野に、坂本が惚れ込んだことだった。
実はこの時、坂本は学生結婚した女性と離婚が成立しておらず、矢野も前夫と離婚してから9カ月しか経過していなかった。
2人は「挙式や入籍なんて形式であり、そんな俗世間っぽいことは必要ない」としばらくは事実婚状態。入籍したのは美雨が2歳を迎える前の82年2月。坂本は「入籍したんだよ。子どもは他人に任せないでアッコ(矢野)と2人で手作りっぽく育てるよ」と語った。
しかし、幸せな家庭生活は長くは続かなかった。引き金は坂本の女性問題だった。マネジャー兼秘書として坂本の事務所を仕切っていた女性が、結婚生活に影を落とし始める。
愛人の存在に気付いた矢野は何度も話し合うが、坂本はそのたびに「ごめんなさい」と謝るばかりで関係は変わらない。90年、坂本と矢野はニューヨークで暮らし始めるが、一説には矢野がマネジャーとの関係を絶たせようとして坂本の米進出を後押ししたとも。