橋田寿賀子さん 死への思い赤裸々に(インタビュー再掲)
日本を代表する脚本家で劇作家の橋田寿賀子(はしだ・すがこ、本名・岩崎寿賀子=いわさき・すがこ)さんが死去したことが5日、分かった。95歳。4日、急性リンパ腫のため静岡県熱海市の自宅で息を引き取った。NHK朝ドラ「おしん」やNHK大河ドラマ「春日局」、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)など数々の名作ドラマを手がけてきた橋田さん。日刊ゲンダイは2018年、都内ホテルでインタビューを敢行したが、その際、記者と気軽に膝を突き合わせ、当時の近況、昨今のドラマについて、そして死に対する思いを赤裸々に語っていた。再編し再掲する。
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「生きるも死ぬも恨みっこなし」橋田壽賀子さんに聞く
■夫が残してくれた遺産は約2億8000万円
半世紀以上、第一線で活躍してきた脚本家の橋田壽賀子さんは、92歳になった今もエネルギッシュに世界中を旅している。88歳で終活をスタートさせ、“安楽死宣言”もした。橋田流の人生の終い方が注目されているが、その考え方は至ってシンプル。地中海クルーズを直前に控えた3月下旬、都内で話を聞いた。
■遺産で悠々自適な暮らしをしたかったが…
〈登場人物は脚本家の分身みたいなもの〉――。日々実践する生き方を紹介した新著「恨みっこなしの老後」(新潮社)にはこうつづられている。
1990年の第1シリーズ以降、30年近くにわたって放送されている「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)は5人姉妹を中心とした岡倉家のホームドラマだ。一体、誰がいちばん自分に似ているのかを聞くと、意外な答えが返ってきた。
「私は意地悪だって自覚がありますし、それが多少なりとも作品に出ているとは思いますけれど、あの中には近い人も、なりたい人もいないんですよ。ただ、どんなに嫌な子でも“最後にはいい道を選んでね”って願いを込めて書いています」
5人娘の嫁ぎ先も含め、個性的なキャラクターが登場する大ヒットドラマには、前年の89年に亡くなったTBSプロデューサーで夫の岩崎嘉一氏の遺志が反映されている。
「主人は2億8000万円ほどの遺産を残してくれたんです。私はその遺産で悠々自適な暮らしをしたかったんですけれど、主人はその資金で私の名前を冠した財団を設立し、ドラマに恩返ししろと。でも、財団をつくるには2000万円ほどが不足していました。そうしたら(プロデューサーの石井)ふく子ちゃんが、“1年間続くドラマを書けばTBSが貸してくれるから書きなさい”って。簡単に言いますけれど、4クール分の脚本ともなれば、家族が多くないと持たない。そこで女の子5人に、定年間近のお父さんとお母さんの一家を描けばどうにかなるだろうって考えたんです。思いつきでしたが、5人もいると各世代が抱える悩みや不安が書ける。永久に書けるんですね」
各回のテーマは新聞の読者投書欄を参考にしているそうで、「一般の人が何に悩んでいるのか、何がうれしかったのかが、つぶさに分かる」と言う。
来年5月には平成から新たな年号へと変わる。大正14年生まれの橋田さんは4つ目の年号となるが「興味はない」と、こう続ける。
「だって、年号が変わっても私たちの生活が劇的に変わるものではないでしょう? ただ昭和という年号は忘れられませんね。なかでも、敗戦の昭和20年。それまで軍国少女だったのに、突如、はしごを外されて人生ががらりと変わってしまったんですから」
NHK大河「いのち」(86年)や朝ドラ「おしん」(83~84年)にも、日本女子大在学中に体験した戦中・戦後の厳しい生活が色濃く反映されている。
■自分に仕事がこないと思っている放送枠は見ない
脚本家人生60年超。言わずと知れた大作家だが、決して現場には注文を出さない。
「台本はお嫁に出した子どもみたいなもの。焼いて食おうと煮て食おうとお好きにどうぞっていう気持ちです。直すときは教えてくださいって言いますけれど、一度、手渡したらどう演出しようがどう演じようが構いません。同じ脚本家でも倉本(聰)さんと私、全く違いますね(笑い)」
〈ありがとう〉というセリフひとつとっても、演じる役者によって十人十色。ホン読みも稽古も立ち会わないのがポリシーだ。
「放送を見たときの驚きが楽しみなんです。脚本家の色がついちゃったらつまらない。ときには、あの役者さんヘタッピね、と思うこともありますが、一視聴者として楽しむためにドラマを描いているところはあります」
これまでに単発で210本超、連ドラで120本以上を書き続けてきた。最高視聴率62.9%を記録した「おしん」(1983~84年)は全世界60カ国で放送されている。同作を含め、「あしたこそ」(68~69年)、「おんなは度胸」(92年)、「春よ、来い」(94~95年)と朝ドラは計4本も手がけているが、最近の作品は「全く見ていない」そうだ。
「私はゲンキンだから、自分に仕事がこないと思っている枠は見ないんです。だから、大河も見ない。NHKで3本も書けば、ステータスも、民放のドラマの原稿料も上がりますが、その必要はもうありませんから。NHKも私にオファーする気なんてないでしょうけれどね。ふふふ」
81年放送の大河「おんな太閤記」での功績が評価され、ゴーサインが出たという「おしん」。明治時代の田舎のビンボー物語だけに、「青年期のおしんを演じた田中裕子さんも“こんな役はやりたくない”って言ってたようですよ。私が現場に行っても目を合わせず、口も利かなかった。一生懸命演じてくださって、あそこまでの作品になったんですから感謝はしておりますが、一生忘れません」。
88歳で終活を始め、葬式も偲ぶ会も行わないと宣言
もともと情が入って脚本が左右されることがないように、私生活では役者と付き合わないようにしているという。深い親交で知られる泉ピン子については「女優さんという感じがしない」とどこかクール。
「子どものころから人に影響されることが嫌いなんです。親交隔絶している方がずっと気が楽。ひとりっ子だった私をふびんだと思った母親は、お友達をちょくちょく家へ呼んでいたんですが、それも凄く苦痛でしたね。両親も早くに死んでますし、40歳で食べるのもやっとだった私をもらってくれた主人には一生懸命尽くしましたけれど、亡くなってからはあちらの親戚ともお会いしてない。いまは係累もありませんし、生涯孤独。人付き合いの煩わしさがなくてとても楽なんです」
数カ月に及ぶクルーズでも深入りはしない。
「仲良くお付き合いしていただいて、船を下りる時には『はい、さようなら。またお船の上でお会いしましょうね~』ってお別れするんです」
それが橋田流の無理しない生き方だ。
■整理整頓して下着もつけて…このまま眠って起きなきゃいいな
92歳の橋田さんは、新刊「恨みっこなしの老後」(新潮社)で〈もう誰も恨む人もいません〉〈今、残っているのは感謝だけ〉と胸の内をつづった。まるで菩薩の域に達したかのようだが、死ぬよりも怖いことがある。
「今はまだ頭も少しはハッキリしているし、遠出するときだって押し車(シルバーカー)を使えば歩くこともできる。トイレもお風呂も入れます。怖いのは、ボケたりして分からないうちに人様に迷惑をかけること。夫に先立たれ、子どものいない天涯孤独の私にとってそれがいちばん怖いから、もしものときは“安楽死させてください”って書いたんです。法律を変えるまでは無理だとしても、それで皆さんが話し合ったり考えたりするきっかけになったらいいなという思いはありましたね。そして願わくば、ひとりでも多くの方が死と向き合ってくれる訪問医さんと出会えるといいなあって。幸せに死なせてあげるにはどうしたらいいか、長生きさせてあげるにはどうしたらいいか。その人その人の希望をかなえてくれる町医者が増えてくれたらなあって思います。私も早くそういう主治医を見つけたいですね」
88歳で始めた終活では、夫婦別々の墓に入ることを決め、葬式も偲ぶ会も行わない宣言をした。いずれも迷惑をかけないための策だが、当時は“たられば”だった死が「いまは切実」だと言う。
「皆さんに申し上げたいのは、90を過ぎた人間が考えることは“自分が死ぬ”ということ。これはもうね、この年齢にならないと分からないものですね。私は明日、死ぬかもしれないっていう感覚。理想は、朝起きたら死んでたっていうのがいい。眠っているときって幸せだから、毎晩、寝る前にこのまま眠って起きなきゃいいなって思いながらベッドに入っています」
用意は周到だ。
「自宅に誰が入ってこられてもみっともなくないように、いつも、家中きれいにしておかなければいけないし、机の上も整理整頓して下着もちゃんとつけておかなきゃって。ものすごく気を使って、死ぬ準備をしているんです」
取材の翌日、橋田さんは70日間に及ぶ地中海方面へのクルーズに旅立った。
「生きて帰ってこられたら、もう夏。またお会いできたらいいわね」
秋にはアノ名物ドラマの特番を控えているそうだ。
(取材・文=小川泰加/日刊ゲンダイ)